伊勢長島城跡 |
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築城 | 文明14年 |
築城者 | 伊藤重晴 |
場所 | 三重県桑名郡長島町 |
交通 |
文明14年(1482)伊藤重晴が築城する。 永禄13年(1570)・元亀元年(1570) 滝川一益(信長家臣・尾張蟹江城)は織田信長(安土城)より、北伊勢5郡を与えられるが、伊勢長島一向衆の反撃にあい撤退する。 天正2年(1574) 滝川一益は伊勢長島一向衆を鎮圧して北伊勢5郡の居城として入城する。 支城に矢田城がある。 天正10年(1582) 武田勝頼滅亡(武田甲州征伐)後に佐久・小県(信濃国)2郡と上野(群馬県)1国を与えられ厩橋城に入り、関東管領に任命される。 天正12年(1584)7月 滝川一益は小牧・長久手の合戦(秀吉軍と家康軍の戦い)で、・・・仔細省略・・・退却の責任を問われ羽柴秀吉(姫路城)によって越前大野に追放(捨扶持3千石)される。 滝川益重(滝川一益の嫡男)は? 滝川一忠(滝川一益の次男)は追放 滝川一時(滝川一益の3男)は1万2千石で、秀吉の家臣となる。 天正14年(1586)9月9日 滝川一益は越前大野62才で没する。 江戸時代入って城主は何回か代わり、増山正弥が2万石で入り、増山藩8代で明治に至る。 |
■滝川一益の弟(従兄弟かも?)は滝川益氏になり、滝川益氏の嫡男は滝川利益(前田慶次郎)になる。 ■慶次郎の母が前田利家の兄前田利久(尾張荒子城主・金沢城代)と結婚し、前田利久の養子となる。 ■天正年10年(1582)慶次郎は前田利家の兄前田安勝(七尾城代)の娘を妻にする。天正13年(1585)阿尾城代に任命される。 ■滝川一積(一益の孫))は真田幸村の妹を妻にしている。 ■本能寺の変の翌天正11年(1583)滝川益重(一益の嫡男)が峰城主になる。天正12年(1584)に佐久間正勝(北畠信雄の臣)が峰城主になる。その後廃城になる。 |
加賀前田家 | 前田慶次郎系図 |
兵庫県 |