石動山砦(城)跡
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築城 天正3年(1576)
築城者 上杉謙信
場所 鹿島郡中能登町鹿島・石動山
交通

大宮坊 石動山砦(城) 荒山砦(城)

越後春日山城の上杉謙信が1576年に能登に侵攻した際に七尾城の抑えとして築城し、家臣の直江景綱(与板城)を守将として置く。

天正10年(1582)
本能寺の変による織田信長の死を機に 天正6年(1578)菱脇(羽咋市菱分)の戦い敗れ越後に逃亡していた温井景隆(天堂城))・三宅長盛(崎山城)は石動山衆徒と共に石動山砦・荒山砦(城)に入城するが、佐久間盛政(金沢城)・前田利家(七尾城)に荒山(桝形山)の合戦で敗れ 荒山砦(城)は攻め落とされる。

荒山の合戦後に石動山の合戦で、石動山衆徒が篭もる石動山城も攻め落とされるが、後に豊臣秀吉(大阪城)の命により復興している。

城跡は現在の石動山神社になり、資料館がある。
■石動山(大宮坊)は泰澄大師が約1300年前に開山したと伝える山岳信仰の拠点で、中世には360院坊、石動山宗徒3、000人を擁したといわれる。
■富山県小矢部市の今石動城は「いまいするぎ城」と呼び中能登町鹿島の石動山城は「せきどうざん城」と呼びます。

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