加賀藩の城代

加賀本藩系図 七日市支藩系図 富山支藩系図 大聖寺支藩系図
加賀前田家 加賀藩の石高 加賀八家 四家大名家老
加賀藩の城代 前田慶次郎 高山右近 長町武家屋敷
大名の家格 豆知識(余談) 長州藩毛利家


*加賀藩は能登・加賀・越中の中心になる主な城には城代を置き、地域本城の出城・支城には城番を置いた。
七尾城舟岡城松倉城弓庄城阿尾城などの山城や砦はこの頃から廃城になる。
*元和元年(1615)一藩一城の前には地域の出城・支城はほとんど廃城になる。
*年代によって城代・城番は代わっていますので、参考程度にして下さい。

能登の城代

城名 城代 入城年号 備考 姻戚
穴水城 長(甲斐守)連龍 ・・ 加賀八家 ・・
七尾城 前田安勝 天正9年(1581) 利昌3男 利家の兄
小丸山城 前田利政(城主) 文禄2年(1593) 利家家臣 利家次男
小丸山城 高畠(石見守)定吉 文禄2年(1593) 利政家臣 芳春院の甥
小丸山城 前田利好 慶長2年(1597) 利家家臣 安勝嫡男
小丸山城 前田知好 慶長15年(1610) 利家家臣 利家三男
福水城 鈴木因幡(城番) 天正6年(1578) 長連龍家臣 ・・
末吉城 平氏(城主) ・・ 利家家臣 ・・
末吉城 高山右近 天正16年(1588) 利家客将 ・・
末森城 奥村(伊予守)永富 天正12年(1584) 加賀八家 ・・
松任城 永原孝治←赤座 利長家臣

穴水城福水城田鶴ヶ浜館の長連龍は別格で城主扱い。
末吉城は平氏から高山右近にしてありますが、詳しい資料がなく管理人の個人的解釈です。

加賀の城代

城名 城代 入城年号 備考 姻戚
金沢城 前田利久 天正11年(1583) 利昌嫡男 利家の兄
舟岡城 高畠(石見守)定吉 天正11年(1583) 利家家臣 芳春院の甥
津幡城 前田秀継(城主) 天正11年(1583) 利昌6男 利家の弟
切山城 不破彦三 天正12年(1584) 利家家臣 ・・
松根城 村井(豊後守)長頼 天正12年(1584) 加賀八家 ・・
松任城 赤座吉家→永原 慶長5年(1600) 利家家臣 ・・
小松城 前田(土佐守)直之 慶長5年(1600) 加賀八家 ・・
和田山城 岡島(備中守)一吉 慶長5年(1600) 利長家臣 ・・
大聖寺城 津田(遠江守)重久 慶長5年(1600) 利長家臣 ・・

越中の城代

城名 城代 入城年号 備考 姻戚
弓庄城 天正11年 廃城 ・・ ・・
木舟城 前田秀継(城主) 天正12年(1584) 利昌6男 利家の弟
今石動城 前田秀次(城主) 天正13年(1585) 利長家臣 前田秀継嫡男
阿尾城 菊地武勝(城主) 天正12年(1584) 利家家臣 ・・
阿尾城 前田慶次郎 天正13年(1585) 利家家臣 利久長女(?)
増山城 中川(武蔵守)光重 天正13年(1585) 利家家臣 利家次女(斎)
富山城 横山(山城守)長知 天正13年(1585) 加賀八家 ・・
安田城 岡島(備中守)一吉 天正13年(1585) 利長家臣 ・・
城生城 青山(佐渡守)吉次 天正13年(1585) 利家家臣 ・・
城生城 篠島織部清了 慶長5年(1600) 利長家臣 ・・
守山城 前田(対馬守)長種 天正13年(1585) 加賀八家 利家長女(幸)
守山城 岡島(備中守)一吉 ・・ 利長家臣 ・・
魚津城 青山(佐渡守)吉次 天正15年(1587) 利家家臣 ・・
松倉城 ??(城番) 天正15年(1587) 青山家臣 ・・
放生津城 山崎(長門守)長徳 利家家臣
今石動城 篠島織部清了 文禄2年(1593) 利長家臣
宮崎城 高畠(石見守)定吉 文禄4年(1595年) 利長家臣 利家の妹(津世)


主な城の城主・城代年表

★天正8年(1580)
羽柴秀吉は長浜城から姫路城に移る。

★天正9年(1581)
前田(筑前守)利家は能登1国領主になり、菅原館から七尾城に入る。
七尾城代には前田安勝(利家の兄)(前田家系図)がなる。

★天正10年(1582)〜天正17年(1589)にかけて小丸山城を築城する。

☆天正10年(1582)6月2日
本能寺の変で織田信長(安土城)は割腹自害49才

☆天正10年(1582)6月13日
山崎の合戦で明智光秀(坂本城)死亡55才

☆天正11年(1583)
賤ヶ谷の戦いで、柴田勝家(北の庄城)自害する。
柴田勝家方の北加賀領主佐久間盛政(金沢城)は敗戦後山城槙島で斬罪になる。
羽柴秀吉(姫路城)の時代になる。

★天正11年(1583)
利家は北加賀領主・能登1国領主になり、金沢城に入る。
金沢城代には前田利久(利家の兄)(前田家系図)がなる。
松根城代には村井(豊後守)長頼(加賀八家)がなる
松任城主には前田(肥前守)利長(前田利家嫡男)がなる。
舟岡城代には高畠(石見守)定吉(芳春院の甥)がなる。

★天正11年(1583)
羽柴秀吉は姫路城から大阪城に入る。

★天正12年(1584)
切山城代に不破彦三(利家家臣)がなる。
末森城の合戦で、末森城代に奥村(伊予守)永富(加賀八家)がなる。

★天正13年(1585)
阿尾城代前田慶次郎がなる。
阿尾合戦で、神保氏張(守山城)に勝利する。

★天正13年(1585)
前田利長は越中西部領主になり、守山城に入る。
守山城代には前田(対馬守)長種(加賀八家)がなる。
増山城代には中川(武蔵守)光重(利家次女(斎)の婿)がなる。

★天正13年(1585)
佐々成政(富山城)は減封され新川郡(魚津城)に移る。
前田利長は越中1国領主になる。
富山城代には横山(山城守)長知(加賀八家)がなる。
城生城代には青山(佐渡守)吉次がなる。

★天正15年(1587)
佐々成政は新川郡(魚津城)から肥後熊本に移る
魚津城代には城生城代の青山(佐渡守)吉次がなる。
城生城代には篠島織部がなる。

★文禄2年(1593)
前田利政は(利家次男加賀本藩系図)能登1国領主になり、七尾城に入る。
七尾城代には舟岡城代の高畠(石見守)定吉(利家夫人芳春院の甥)がなる。

★慶長2年(1597)
前田利政は七尾城から小丸山城を居城にする。
小丸山城代には前田利好(安勝嫡男)(前田家系図)がなる。
七尾城は廃城になる。

★慶長2年(1597)10月
前田利長は従三位参議に任ぜられ、越中1国を領する。守山城から富山城に入る。

★文禄3年(1594)
豊臣秀吉は大阪城から伏見城に入る。

★慶長3年(1598)4月20日
利家が隠居し、家督を利長に譲る。
利長は北加賀を相続して北加賀・越中1国を領する。
利長は従三位権中納言になる。

☆慶長3年(1598)8月
豊臣秀吉が伏見城で死去62才

☆慶長4年(1599)3月
利家大阪城で死去62才

★慶長4年(1599)4月
前田利長は富山城から金沢城に入る。

★慶長5年(1600)9月
関ヶ原の合戦で、前田利政(利家次男加賀本藩系図)は東軍に参加せず能登1国を没収される。
南加賀の小松領主丹羽長重(小松城)・大聖寺領主溝口秀勝(大聖寺城)は関ヶ原の合戦で、西軍に参加して、南加賀を没収される。

★慶長5年(1600)10月
前田利長は38才で、北加賀・越中1国と新たに南加賀・能登1国を領し、加賀・能登・越中3国を領する。
金沢城代には?
小丸山城代には前田利好(安勝嫡男)がなる。
小松城代には前田(土佐守)直之(加賀八家)がなる。
大聖寺城代には津田(遠江守)重久がなる。
松任城代には赤座吉家がなる。

★慶長8年(1603)
徳川(江戸)幕府は幕藩体制を敷き、領国支配の大名を藩と呼ぶようになる。
前田利長は加賀・能登・越中3国を領する加賀藩122万石(加賀藩の石高)の藩祖となる。


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