城生城跡
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築城 文和年間(1352〜1356年)
築城者 斎藤左衛門大夫入道常喜
場所 婦負郡八尾町城生
交通

案内板 本丸跡

城生城は斎藤氏(足利尊氏方武将)代々の居城になり、越中と飛騨(岐阜)を結ぶ要所で、越中南の重要な要になり、斎藤氏は婦負郡南部と楡原保一帯を支配して、城生城の支城(属城)には八尾城茗ケ原城安庄城などがあり、詰城には井田主馬ヶ城がある。

上杉景勝(春日山城)に属していた斎藤信和(城主)は天正11年(1583)佐々成政(富山城)・神保氏張(守山城)に追放される。
天正13年(1585)に城生城は越中領主(守山城)前田利長(加賀本藩系図)家臣の青山佐渡が城代として治める。

天正15年(1587)城生城代青山佐渡は魚津城代になり、慶長5年(1600)篠島織部(加賀藩の城代)が城代になり、城生城の出城・支城に城番を置く。

慶長5年(1600)以降に廃城になる。

城生城は八尾町城生の神通川左岸台地(標高1200m)にあり、城跡は戦国時代の山城の姿をよくとどめていて、案内板があり、遊歩道は整備されていて手軽に歩けるようになっている。
城生城の支城・属城に関して、いろいろ調べたのですが、詳しく解説している歴史書が無く、困りました。
天正11年(1583)斎藤氏は佐々成政・神保氏張に追放されるが、後に徳川家康の家臣になる。

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