江曽山城跡
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築城
築城者 飯川氏(飯河氏)
場所 七尾市江曽町
交通

飯川氏(在地領主・地頭)の居城として江曽町の山頂に築城する。
物見砦など5つの砦で構成され中心が居館になっていて、山全体が要塞になっていた。
鹿島郡の在地領主の中でも相当な権力を持ち能登守護職吉見氏(能登部城)の守護代にもなっている。
飯川氏は畠山政権(初代〜12代)の重臣として仕える。
初代 畠山満慶 飯川中務丞 7代 畠山義総 飯川義明・飯川宗春
2代 畠山義忠 不明 8代 畠山義続 飯川宗春
3代 畠山義統 飯川光助 9代 畠山義綱 飯川光誠・飯川義実
4代 畠山義元 不明 10代 畠山義慶 飯川義実・飯川義清
5代 畠山慶致 不明 11代 畠山義隆 飯川義清
6代 畠山義元 不明 12代 畠山春王丸 飯川義清

★飯川光誠は一族の中でも知力・権力・武力がすぐれ、9代畠山義綱政権(能登畠山家臣団)では年寄衆(4家老)飯川光誠・遊佐続光(府中館)・長続連(穴水城)・八代俊盛(森寺城)」の中でも筆頭家老となり「畠山家第二次七人衆」の1人になっているが、永禄の政変(能登の合戦)で失脚する。
★飯川光誠は近江(滋賀県)亡命政権(能登の合戦)の守護代になっている。
★飯川光誠は最後まで畠山義綱の守役として忠義を尽くす。畠山政権初代〜12代までの能登畠山家臣団の中では裏切らない一番の忠義者。

★飯川義清は11代畠山義隆政権(能登の合戦)では七尾城代になっている。

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