能登の合戦
七尾城(中能登七尾地区)
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能登畠山家臣団 能登守護職一覧 畠山氏系図 能登の合戦

■能登での南北朝合戦は
能登の在地領主・地頭は南朝北朝行ったり来たりで、やこしいので、ここでは省略します(−−;)

■天文の内乱「1」とは
天文19年(1550)
「能登守護職畠山義続(8代)・長続連(穴水城)・温井総貞(天堂城)」側と「遊佐続光(府中館)・平重冬(末吉城)・鞍川清房(鞍川城)側」との権力争いで遊佐続光側が敗北する。

■天文の内乱「2」とは
天文19年(1550)11月
「長続連(穴水城)・温井総貞(天堂城)」と「遊佐続光(府中館)・平重冬(末吉城)・鞍川清房(鞍川城)」の戦いで、遊佐続光側が敗北し、鞍川清房は戦死する。

■大槻一宮の合戦とは
天文23年(1554)
鹿島郡大槻・羽咋郡一宮で、「能登守護職畠山義綱(9代)・長続連(穴水城)・温井総貞(天堂城)」と「遊佐続光(府中館)」の戦いで、遊佐続光(府中館)は敗北する。

■弘治の内乱とは
弘治元年〜永禄3年(1555〜1560)
能登守護職畠山義綱(9代)で権力集中を計る温井紹春を飯川光誠が暗殺する。

「能登守護職畠山義綱(9代)・飯川光誠(江曽山城)・長続連(穴水城)・遊佐続光(府中館)・八代俊盛(森寺城)」側 と「畠山晴俊(西谷内畠山氏・西谷山内城)・温井景隆(天堂城)・三宅総広(崎山城)・神保総誠(勝山城)」側が主導権争いを起こし温井景隆側が敗北し、神保総誠が戦死する。

★余談
ここまでの戦いでは能登守護代遊佐続光(府中館)は何度も敗北(失脚)して復権している。しぶといタヌキ親父で長生きしている(笑)

■永禄の政変とは
永禄9年(1566)
能登守護職畠山義綱(9代)の政権の実力者の年寄衆(家老)飯川光誠(江曽山城)が遊佐続光(府中館)・長続連(穴水城)・八代俊盛(森寺城)ら3人の年寄衆(家老)の不満を招き失脚する。

■近江(滋賀県)亡命政権とは
実力者の飯川光誠(江曽山城)が失脚し、能登守護職畠山義綱(9代)は追放される。畠山義綱は近江(滋賀県)に逃れ、飯川光誠(江曽山城)を守護代にして亡命政権を開くが、能登での影響力はない。【飯川光誠は畠山義綱(9代)の守役になっている】

■義慶政権(10代)誕生とは
能登守護職畠山義慶政権(10代)が誕生し、失脚した年寄衆飯川光誠(江曽山城)に代わって、温井景隆(天堂城)が台頭して、遊佐続光(府中館)・長続連(穴水城)・温井景隆(天堂城)の3人の年寄衆(家老)の時代になり、年寄衆(家老)八代俊盛(森寺城)の実権が低下する。

永禄12年(1569)
実権が低下した八代俊盛(森寺城)は内乱を起こして失脚する。

■畠山義隆政権(11代)・畠山春王丸(12代)誕生とは
失脚した八代俊盛(森寺城)に代わって長続連(穴水城)が実権を握る。
畠山義隆(11代)の急死で、畠山春王丸(12代)政権になり、長続連(穴水城)が、幼い畠山春王丸の後見役になり実権はより強力なものになる。

七尾城の開城とは
天正5年(1577)
長連龍(長氏21代当主)の留守の間に穴水城を攻略して長綱連(七尾城城代・長氏20代当主)などの長一族を殺害する。
越後の上杉謙信(春日山城)に遊佐続光(府中館)・温井景隆(天堂城)・三宅長盛(崎山城)が内応して七尾城を開城して上杉謙信(春日山城)は能登を支配する。

★余談
畠山満慶(初代)から続いた能登畠山氏の能登守護職は畠山春王丸(12代)で、終わる。

★余談
長氏20代当主長綱連(19代続連の嫡男)は七尾城の開城で、殺害され長連龍(19代続連の次男)が長氏21代当主になる。

七尾城を開渡すとは
天正6年(1578)
能登を支配した上杉謙信(春日山城)が死去すると遊佐続光(府中館)・温井景隆(天堂城)・三宅長盛(崎山城)は織田信長(安土城)に七尾城を開渡する。

■菱脇(羽咋市菱分)の合戦とは
穴水城を奪われた長連龍(長氏21代当主)は神保氏張(守山城主)の客将になり、神保氏張の妹を妻にして姻戚関係になる。

天正6年(1578)
七尾城の開城で、能登を支配した上杉謙信(春日山城)が死去したのを機に穴水城奪還のため 菱脇(羽咋市菱分)(能登の合戦)で、遊佐続光(府中館)・温井景隆(天堂城)・三宅長盛(崎山城)側と戦い織田軍(安土城)・長連龍は勝利する。

★温井景隆(天堂城)・三宅長盛(崎山城)は越後(春日山城)に敗走する。
★遊佐続光は逃亡先(鳳至郡小石村の狂言師翁新五郎宅)で七尾城開城・菱脇合戦の責任を問われ殺害される。

★余談
菱脇の戦いで、勝利した長連龍は織田信長から恩賞として鹿島半郡(鳥屋・鹿島・鹿西)、能登口羽咋東地区を与えられ福水城(羽咋市福水町)を本城にする。徳丸城(鹿島郡鹿西町徳丸)などを改修し、鹿島半郡を完全に治める。

後に長連龍は前田利家(金沢城)の与力となり、加賀藩の中では独立国的な立場になり、加賀藩家老(加賀八家)の一人長家の祖(3万3千石)になる。

★余談
菱脇で敗れ、越後(春日山城)に敗走していた温井景隆(天堂城)・三宅長盛(崎山城)は天正10年(1582)本能寺の変で、能登を奪回しようとして能登に入るが、佐久間盛久(当時の金沢城城主)に殺害される。


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