末吉城跡
能登口「羽咋地区」トップ

築城 応永年間(1394〜1427)室町初期
築城者 平氏(畠山家臣)
場所 羽咋郡志賀町宇末吉
交通

末吉城は別名堀松城・笹山城・篠山城と呼ばれ、志賀に本拠を置く平氏(畠山家臣)の本城として室町初期に築城する。

居城として町城があり、末吉城の支城に堀松城がある。
平氏は畠山四家老(能登畠山家臣団)として羽咋北(志賀・富来)地区を治る

天文の内乱「1」「2」(能登の合戦)では能登守護代遊佐氏(府中館)に付くが、常に中間的立場にいる。
平氏は江戸時代には天領の大庄屋を務める。

■奥能登は
長氏温井氏三宅氏・平氏の
畠山四家老(能登畠山家臣団)が
治めていた。
温井氏・三宅氏は
菱脇の戦で失脚する。
後に長氏は
前田利家の与力となり、
加賀藩の中で
独立国的な立場になる。

■キリシタン(カトリック)大名として有名な高山右近高槻城
は禄高2万6千石の客将・参与として加賀藩に26年間住んだ。
知行地(領地)は羽咋北(志賀)地区になる。

屋敷は金沢市広坂1丁目にあり、屋敷跡は本多家の屋敷になり、現在は金沢21世紀美術館になってる。
慶長七年(1602年)11月の金沢城炎上の後 右近は第2の屋敷に移る。
屋敷跡は旧金沢貯金事務センターが建てられ、その後は旧金谷館(北陸の鹿鳴館)前になる。

■利家が亡くなる時に右近の忠誠をたたえ、2代利長に対して右近を大切にするようにと遺訓を与えた。

平成16年(2004年)8月26日(木曜日)
■平氏(末吉城)と輪島市の時国家は同じ平性を名乗り、同じ天領庄屋を務めている。姻戚関係があるのか?
甲山城城主(鳳至郡穴水町)平楽右衛門尉は平氏(末吉城)の一族と言う説もある。


高山右近墓所

高山右近高槻城)はマニラに国外追放され高山右近死後孫が加賀藩から与えられた知行地(領地)の末吉に住み、現在は志賀町代田に子孫が住んでいる。
高山右近の子孫は石川高山家・福井高山家・大分高山家(高山英明は元大分市長)の3家がある。

末吉(末吉日吉神社近く)には高山右近墓があり、新しい花が添えられていた。
■羽咋郡志賀町末吉の高山右近記念公園内に石碑とブロンズ像ある。
七尾市本行寺境内(小丸山公園)に高山右近像が建立され、右近古道や右近修道場跡が残る。
高岡古城公園(高岡城)大手口に高山右近ブロンズ像がある。

高山右近石碑とブロンズ像 高山右近墓地 高山右近墓地

高山右近墓所訪問 2007/4/11日(水)


能登口北の守城(羽咋北地区勢力図

管理人からのお知らせ
羽咋地区目次に戻る