天堂城埋蔵金伝説
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天堂城埋蔵金伝説 佐々成政の隠し黄金伝説 金蔵埋蔵金伝説

天堂城(輪島市別所谷町)には温井氏(天堂城)が、軍資金を隠した埋蔵金があると言う伝えがある。

「★伝説1」弘治元年(1555)
温井紹春暗殺直後に畠山義綱軍の攻撃に備えて温井紹春の家臣達は軍資金を天堂城に隠した事が、天堂城埋蔵金伝説と言われている。

何故 温井紹春の軍資金なのか?
温井紹春は畠山家の実力者で、京の三条西実隆(内大臣・歌人・書家)と交流したり、独楽邸を建立したと言われ 豊富な資金力があった。

「★伝説2」天正6年(1578)
別説では長連龍・前田利家に七尾城を攻められた時に温井景隆の家臣達は七尾城から馬七頭に金を積んで、天堂城に埋めたと言われている。

何故 温井景隆の軍資金なのか?
天正5年(1577)越後の上杉謙信(春日山城)に内応して畠山春王丸(12代)政権の実力者長続連(七尾城城代・穴水城)を殺害して七尾城を支配する。
温井景隆の軍資金と言うより、畠山氏(能登守護職・七尾城)の軍資金だろう。

「★伝説1」「★伝説2」に関して後日 資料を集めてもっと詳しく書きます。

ーー温井氏(畠山家老)と畠山氏(能登守護職)の関係ーー(参照 能登の合戦)ーー

天文年(1554)
温井紹春(畠山家老・天堂城)は遊佐続光(守護代・府中館))を追い落として畠山義綱政権の政局を動かし、畠山義綱(能登守護職)をも追い出して七尾城を占拠する。

「★伝説1」弘治元年(1555)
畠山義綱は飯川光誠邸(畠山家老・江曽山城)で温井紹春(畠山家老・天堂城)を暗殺する。

弘治元年〜永禄3年(1555〜1560) 弘治の内乱
紹春の死後 温井続宗(畠山家老・天堂城)は本願寺勢力と結び畠山義綱・飯川光誠と対立する。

永禄元年(1558)4月
弘治の内乱途中に温井続宗は討死する。

永禄3年(1560)始め
反乱軍の温井残党を能登から一掃して弘治の内乱は終結する。

永禄9年(1566)
永禄の政変・・・仔細省略
畠山義慶政権(10代)になる。

永禄12年(1569)
永禄内乱・・・仔細省略

天正2年(1574)
畠山義隆政権(11代)になる。

天正4年(1576)
畠山春王丸政権(12代)になる。

天正5年(1577) 七尾城の開城
遊佐続光(府中館)は上杉謙信(春日山城)に内応して七尾城を開城する。 
上杉謙信方の温井景隆(天堂城)は半年〜1年間程七尾城を支配する。

「★伝説2」天正6年(1578) 七尾城を開渡す
能登を支配した上杉謙信(春日山城)が死去すると 長連龍(穴水城福水城)・前田利家(越前府中城菅原館)に菱脇で敗れ 七尾城・天堂城を攻められ 温井景隆(天堂城)は敗走する。

天正10年(1582) 本能寺の変
菱脇で敗れ、越後(春日山城)に敗走していた温井景隆(天堂城)は本能寺の変後に能登を奪回しようとして能登に入るが、佐久間盛久(当時の金沢城城主)に殺害される。

■埋蔵金が眠っているらしい場所を実際に掘った人がいるが、何も出なかったと言う。
■関連建物
伊勢神社・独楽邸





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