福水城跡 |
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築城 | 弘冶3年(1557)室町後期 |
築城者 | 畠山氏? |
場所 | 羽咋市福水町 |
交通 |
福水城は別名 長屋敷・長殿屋敷・長者屋敷と呼ばれ 「長屋敷」と「白山神社」にあったと言われている。規模が広く本陣として相当な兵力が駐留できた。 室町戦国時代後期に能登守護職畠山氏(七尾城)が、能登口東南(氷見・羽咋街道)の守城として築城したのか?土豪(豪族・在地領主・地頭職)の築城かは不明。出城として白瀬山砦・八伏山砦がある。 福水城は菱脇(羽咋市菱分)の合戦(能登の合戦)で、遊佐氏(府中館)・温井氏(天堂城)・三宅氏(崎山城)の本陣になるが、織田軍(安土城)・長連龍(穴水城・この頃は守山城客将)が勝利する。 織田信長(安土城)から勝利した恩賞として鹿島半郡(鳥屋・鹿島・鹿西)、能登口羽咋東地区を与えられ福水城を本城にする。 長連龍は鹿島半郡の支配強化のため徳丸城などを改修して 鹿島郡田鶴浜に田鶴ヶ浜館を築館して移り、福水城は鈴木因幡(長連龍の家臣)が守将(城代)となる。 長連龍は前田利家(金沢城)の与力となり、加賀八家長家の祖となる。 |
■七尾城の開城(能登の合戦) 天正5年(1577)長連龍(穴水城)の留守の間 越後の上杉謙信(春日山城)に能登守護代遊佐続光(府中館)が内通して七尾城開城で、長一族が殺害され穴水城を奪われる。 ■菱脇の合戦(能登の合戦) 天正6年(1578)長連龍は神保氏張(守山城主)の客将になる。 天正6年(1578)能登を制圧した上杉謙信(春日山城)が死去したのを機に穴水城奪還のため織田信長(安土城)に援軍を求めて遊佐氏(府中館)・温井景隆((天堂城)・三宅長盛(崎山城)と天正6年(1578)菱脇(羽咋市菱分)で、戦い勝利する。 ■菱脇の合戦での遊佐氏・温井氏・三宅氏の本陣は福水城ではなく菱脇だったのか? ■この頃の鹿島半郡(鳥屋・鹿島・鹿西)には能登口羽咋東(福水・本江・飯山・菱脇など)地区が含まれていたのか? |