長氏系図
穴水城(奥能登輪島地区)
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長氏一族の城と館 長氏系図 年号表



■長連龍(長氏21代当主)は織田信長から前田利家に仕える。
■尚蓮(加賀八家4代)から加賀八家と呼ばれる。


長氏一族

川尻長氏 正院川尻城 長氏の一族 此木長氏 此木長氏館 長氏の一族
南志見長氏 南志見城 長氏の一族 山田長氏 山田城 長氏の一族
川島長氏 川島館 長氏の一族 高瀬長氏 高瀬城 政連(長氏13代)
三井長氏氏 姫ヶ城 長氏の一族 の弟光連


戦国時代の長家

★文治2(1186)年
長谷部信連(為連の嫡男)は源頼朝『鎌倉幕府』にの御家人になり、長氏を名乗る。

★天正5年(1577)
長綱連(長氏20代)は七尾城代となるが、七尾城攻防戦(能登の合戦)で、遊佐続光(府中館)・上杉謙信(春日山城)に殺害され、本城の穴水城は落城する。

★天正5年(1577)
長連龍(19代長続連の3男)は長氏21代当主になる。

★天正6年(1578)
穴水城を失った長連龍(長氏21代)は神保氏張(守山城主)の客将となり、神保氏張の妹を妻にして姻戚関係を結ぶ。

★天正6年(1578)
菱脇の戦い(能登の合戦)で、勝利した恩賞として織田信長(安土城)から鹿島半郡(鳥屋町・鹿島町・鹿西町)と能登口東地区を与えられ福水城(羽咋市福水町)を本城にする。

★天正7年(1579)
神保氏張(守山城主)と長連龍(福水城)は森寺城を攻め落とす。
徳丸城(鹿島郡鹿西町徳丸)などを改修し、鹿島半郡を完全に治め 田鶴ヶ浜館に移る。
能登口東の本城になる福水城は鈴木因幡(長連龍の家臣)が守将(城代)になる。


加賀藩時代の長家

★長連龍は前田利家(金沢城)の与力となり、加賀藩では独立的立場となる。

★長連龍(長氏21代)の嫡子の好蓮(長氏22代)の早死で、連頼(連龍の次男)は23代になるが、系図では22代になっている?。

★好蓮(連龍嫡子)は前田利家の8女福(加賀本藩系図)を妻にするが、好連(1661年)が早死した為 福(松寿院)は中川光重(増山城代)の弟中川光忠と再婚、2年後に離婚する。

★長連頼(加賀八家2代)の時代に長氏の家臣は在地家臣団と金沢に住む家臣団の2派に分裂し、お家騒動(浦野騒動)・・・原因は省略・・・のため、長連頼は加賀本藩の家老を罷免され死後に能登鹿島半郡(独立領)は没収され藩領となり、同等の知行地(3万3千石)を与えられる。

★長連弘は本田政礼(加賀八家筆頭)の次男で、長氏の養子になり、加賀八家長氏の10代になるが、安政元年(1854)黒羽織党事件・・・原因は省略・・・加賀本藩の年寄職を罷免させられる。

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