神保氏張 |
守山城(呉西高岡地区) |
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神保氏張について | 神保氏系図 | 越中守護職一覧 | 3-2-4 |
■★神保氏張(神保氏系図)は神保氏純(畠山家被官)の子。 ■神保氏張は織田信長(安土城)の妹を妻にして織田信長の家臣となる。 ■神保氏張は富山城主・守山城主になる。 ■天正4年(1576) 上杉謙信(春日山城)に富山城・守山城を攻め落とされ、激怒した織田信長は、嫁がせた妹を離別させて神保氏張を追放する。 ■天正5年(1577) 上杉謙信が七尾城を落とし、能登を制圧する。 ■天正6年(1578) 神保氏張は佐々成政(越前小丸城主→富山城主)の与力となり、守山城主に復帰する。 ■天正6年(1578) 長連龍は七尾城開城(能登の合戦)で、神保氏張(守山城)の客将となる。 ■天正6年(1578) 長連龍は神保氏張の妹を妻にして姻戚関係になる。 ■天正6年(1578) 上杉謙信死去。 ■天正6年(1578) 長連龍は菱脇で、温井氏(天堂城)・三宅氏(崎山城)側と戦い勝利して鹿島半郡(鳥屋町・鹿島・鹿西)・能登口羽咋東地区(福水城)を治める。 ■天正7年(1579) 神保氏張と長連龍(福水城)は森寺城を攻め落とす。 ■天正9年(1581) 織田信長は、佐々成政(越前小丸城主)を富山城主にする。 ■天正10年(1582)6月2日 本能寺の変で、織田信長死去。 ■天正11年(1583) 賤ヶ谷の戦いで、柴田勝家(北の庄城)死去。 ■天正12年(1583) 前田利家(金沢城)と佐々成政・神保氏張は末森の合戦(末森城)で戦う。 ■天正13年(1585) 神保氏張は阿尾城を攻撃する。 ■天正13年(1585) 羽柴秀吉(長浜城)の越中出陣で、佐々成政・神保氏張は降伏する。 ■天正13年(1585) 佐々成政は減封され神保氏張と共に新川郡(魚津城)に移る。 ■天正15年(1587) 羽柴秀吉の九州平定後に神保氏張は佐々成政と共に肥後熊本に移る。 ■天正16年(1588) 佐々成政は一揆の責任を問われ所領没収、摂津尼崎で切腹。 ■天正16年(1588) 神保氏張は肥後を出て浪人する。 ■後に神保氏張は徳川家臣となり、下総国香取郡に2千石を与えられ、番町(千代田区西部)に屋敷を構える。 |
★神保氏張は9代能登・越中守護職畠山義綱(能登守護職一覧)の次男で、畠山家被官の神保氏純の養子と言う説もある。 |
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