宝達山 金山

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中尾平鉱山案内板 鉱山入口 鉱山入口

■宝達山(末森城)では江戸時代に金が掘られていました。中尾平鉱山(宝達志水町上田出外)は宝達山頂の峰つたいにあり、開山は天正12(1584)年とされ、最盛期には150人以上が従事していた。

■1628(寛永5)年に大規模な崩落事故が発生するまで、約半世紀にわたって加賀藩を支えた金鉱であった。大判にして約3500枚が採れた年もあった。

■宝達山の東北側の斜面に9か所の廃坑口が確認されており、中腹にある中尾平坑跡には開口部が残っています。

■金の採取法は西洋の技術が広まるまで、一般的には掘り出した金鉱石を大きな石挽臼で粉砕し、不要の石・土を水で洗い流して砂金を取り出す「流し」という方法が行われていた。

■宝達金山では、釜跡などの様子から精錬技術をいち早く取り入れていたが、いったいどうやってそんな技術を? 思い浮かぶのは加賀藩客将のキリシタン大名・高山右近(末吉城)だ。

■高山右近は宣教師を通じて西洋の土木工法を学び、前田家に招かれた後は藩の基盤づくりに力を発揮した。宝達志水町内にキリスト教学校を開校するなど、町との関係も深かった。
資料提供・宝達志水町埋蔵文化財センター


■中尾平鉱山は閉山になっているが、何処かに金があるかも知れない?

■大雨の後、宝達川上流から砂金が流れてくる可能性もある?

■一攫千金を夢見る人は斜面に9か所の廃坑口があり、採掘しても良いかも知れない?


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