このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。

最近の子供を見ていると、もじもじしてはっきりしない子が多い。そして最近の大人を見ていると「ああだ、こうだ」と難癖をつけながら自分は何もせず、じっさいに行動を起こそうとする人の足を引っ張っている人が多い。
『よかれ』と思って発言した子供が大人の価値観で方向をねじまげられ、あげくの果てに「ばか」の一言で片付けられてしまう。あるいは人々のために『よかれ』と思い、情熱から発した行動を「損だからやめとけ」「前例が無いから様子を見てからにしろ」という言葉で簡単に阻止しようとする。これは太古の昔から現在に至るまで、相も変わらず繰り返してきた人間の性の確執である。
 華厳の教えに『焔慧』(えんえ)という言葉がある。人間は永遠の理想精神に燃えあがらなければ発展しない。冷静な「知」ではダメで、人格の情熱、理想の情熱の焔に燃えて出てくるような智慧でなければ、人間は救われないという教えである。人類の栄光のために、理想の情熱に燃える人々の方向をねじまげてはいけない。そして「危険だ、危ない」などと騒ぎ立てて、子供たちを囲いの中に閉じ込めてはいけない。状況の是非はあるが、すべてがこういう調子である。こんな甘やかされた子供たちに、果たして自分で自分の生きる道を探り出していくような「力強さ」が生まれるだろうか。最近のハンドボールに個性がなくなってきているのも、こういった子供の教育にある程度原因はないだろうか。
 中国の明代に王陽明という儒家がいた。彼の言葉に『一掴一掌血、一棒一条痕』というのがある。「一度掴んだら血の手形が付くくらいに掴んで絶対離すな、一度棒を打ち込んだら一生痕が残るくらい打ち込め」
ということだが、心に残る言葉の一つである。「伸びよう」とする人間はかくのごとくありたいものである。
 このコーナーは、日本・中国の古典の中から、先君たちが守りつづけてきた大切な『教訓』をよみがえらせ、家庭教育の指針になれば、という思いで作ったのだが、参考になれば幸いである。



    


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  『心の儘』 金子得所 1

『心の儘』 金子得所 2

『兵法に多言の要なし』 宋名臣言行録 王徳用

旭荘への 『申し聞かせ書』  広瀬淡窓

屈伸の利 『講孟箚記』  吉田松陰

教師説 『つらつらふみ・君の巻』  細井平州 1

『野芹』  細井平州 2

『嚶鳴館遺草  巻四 管子牧民国字解』  細井平洲 3

『二宮尊徳翁夜話』  福住正兄 1

『二宮尊徳翁夜話』  福住正兄 2

『翁問答』 中江藤樹 1

『翁問答』 中江藤樹 2

 『鏡の説』  山田方谷

 『山鹿語類』  山鹿素行 1

 『謫居童問 学問』  山鹿素行 2

 『孟子』  告子下篇

 『産語』 楽施第二

 『学習院初等科生に対する訓示』 乃木 希典

 『説苑(ぜいえん)』 巻第十一 善説 劉 向

 藝術大意』 熊沢蕃山